父の見送りが終わりました。
今はお骨になって実家に安置され四十九日まで過ごします。
親を看取る
母は突然に逝ってしまったので「看取る」ということすら
ないお別れでしたが、今回の父はお別れの覚悟をする時間が十分に
ありましたし、私が最期を看取ったのでお別れということに納得が
出来ていたように思います。
父の人生は子ども時代に戦争がありましたから大変だったでしょう。
今は亡き祖母が子供たちを連れて疎開を決め浜松を発った数時間後
浜松は空襲に遭い父たちの住んでいた地域は何も残らないほどに
破壊されました。
祖母の決断が数時間遅れていたら、皆命を落とし結果として私もこの世に
存在しなかったかも知れません。
火葬中の待ち時間、私たち3姉妹の周りにはそれぞれの家族がいました。
子どもや孫たち
その風景を見ながら、ああ、これは父が作り上げたものなのだな
ひとりの人からこんな風にたくさんの命が紡がれていくのだなと感じていました。
拾骨
父の骨を両手で掬って骨壺に納めました。
ありがとう私を貴方の子としてこの世にご縁を繋いでくれて
ありがとう大切に育ててくれて
ありがとう貴方の子で幸せでした。
もうお骨になりその手に触れることすら叶わなくなりました。
けれども私が生きている限り父のことは忘れません。
きっと、一緒に通った道、一緒にお買い物に行ったお店
たくさんの場所に思い出はちりばめられていて、ふと思い出すのでしょう。
桜が終わり新緑の季節です。
道路脇にたくさんのツツジが綺麗に花を咲かせていました。
美しい季節に旅立った父
父の魂が安らかでありますように。
*お別れに出向いてくださった皆さま
私を心配して連絡をくださった皆さま
共に悼んでいただき本当にありがとうございました。
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