私は特定の宗教とか持ち合わせてはいないのですが
人よりもっと大きな存在、それを神さまと呼ぶのならそうですし
宇宙の意思とも表現できるのかも知れませんが
そんな存在があるのだと漠然と思っているのです。
特に「命」にかかわることではその想いは強くなります。
こうして猫の施設を創りたくさんの方々と繋がり、その温もりを
抱きしめるとき手の中の命に堪らないくらい愛おしさを感じています。
入所して来た猫たちは幸せ者です。
この命を繋げようと思い行動してくれた人に恵まれていたと言うことですから。
愛されている子たちです。
ちびママの家の中には保護猫もいます。
10年以上外で頑張って生きて来て倒れてしまった子や障がいがあるにも関わらず
道に捨てられていた子、殺処分1時間前にレスキュー出来た子などです。
でも、この子たちも見捨てておけないと思った誰かの手によって
ちびママの家に辿り着いて来ました。
それも愛だと思うのです。
マザーテレサの言葉の中に「餓えや貧しさ」についての言葉がありますが
誰からも必要とされていない愛されていないと思うこころの貧しさは
一切れのパンに餓えるよりもっと酷い貧しさだと。
こんな哀しい思いはちびママの家の子たちに感じさせてはいけないと
1日の終わりには、今日の1日の中でどの子にも名前を呼び声をかけたかと
思い返す時間を作っています。
足りなければ1日が終わる前に声を掛けます。
猫にわかるの?と言われたことがありますが絶対の自信を持ってお答えをしました。
この子たちの顔をみたらわかりますよ。
この子たちの声を聞いたらわからない筈はないじゃないですか
自分が愛されている存在だと理解したときから行動が変わります
それはすごく分かりやすいのですよと。
ちびママの家に来たときには警戒していた子たちの変化は
私に努力が足りているか、心遣いが出来ているのか、
こころから愛しているのか・・・私のこころがそのまま反映されているのです。
今日はバレンタインデーなのでちょっと愛について思ってみました。
パートナーを喪ってから誰かにチョコレートを買うこともありませんが
ホットチョコレートで温まりたい夜です。
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