先週の月曜日
花ちゃんがにじのはしを渡っていきました。
1年と8ヶ月前
飼い猫だった花子は飼い主の身内の人の手によって行政に引き取りに出されたのです。
これは殺処分を意味します。
その情報を聞いたとき、見捨てられないと思いました。
親が飼っていた猫を不要なものとして扱うのには、もしかしたら人間関係に於いて
長年の問題でもあったのかも知れません。
経済的や居住的に問題でもあったのかも知れません。
そこは私には推し量ることはできないのですが、ただひとつわかっていたことは
この子は処分されてしまう!という事実だけでした。
お迎えに行ったとき、やせ細った老猫がいました。
爪も伸び放題で、手入れもされていないのがよくわかりました。
あれから1年8ヶ月、花子と名付けた老猫は環境に馴染み穏やかに暮らしましたが
飼育放棄のときに16~17歳という情報でしたから、徐々に老いが増して来たのです。
トイレの場所を間違えるようになりました。
大きな声で鳴くようになりました。
ご飯を食べたのを忘れて、また食べるという行動が見られるようにもなりました。
それでも、私は花子が可愛くて可愛くて・・・
亡くなる前日にはずっと添い寝していました。
そして花子は私の腕の中で旅立っていったのです。
ずっと話しかけていました。
あちらの世界にいくのは怖くないよ
みんな居るからね。
なんにも心配は要らないからね。
花ちゃんはなんてお利口ないい子なんだろう
うちに来てくれてありがとうね・・・・
花子を喪い1週間が経ちました。
今日も1週間前とおなじ青い空が広がっています。
穏やかでまるで眠っているよううで天使のような花子でした。
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